書いた人 = Keita
ビールと福岡ソフトバンクホークスをこよなく愛する福岡県民。
当サイトにおいては監修的な役割をしています。
時々記事も書くと思います。
1996年は日本のビール業界にとって新たな時代への幕開けとなった。所謂“地ビール元年”である。詳しくは書かないが、要はこれまでとても小さな会社では対応しきれなかったビールの醸造免許取得の際に必須な“最低年間醸造量”が大幅に引き下げられたのである。その2~3年の内に以前より酒造りの技術を持つ酒蔵を中心として日本の各地に数多くの小規模ビール醸造所が立ち上がった。それに伴い日本全国で地ビールのイベントも多数催された。1996年以前の日本では大手が作っているピルスナー以外を口にすることが難しく、それは新しくできた小規模醸造所の人達も同じであっただろう。何十社と出現した醸造所の中で、ビールの醸造技術や世界各地で造られる様々なスタイルに精通していた人は果たして何人いただろうか。“ビール醸造”の知識や経験に乏しい醸造所は技術者をイギリスやドイツから招くところも多かったと聞く。そのような醸造所で造られるビールは必然的に技術者の母国のスタイルが多く、実際当時造られていたビールはイギリスのペールエールやアンバーエール、ドイツのヴァイツェンやラガーがほとんどであった。そこに“こう言うビールを絶対に造りたい、飲みたい”と言う意思はあったのだろうか。それは当事者しかわからない事だろうが、その後多くの醸造所が閉鎖された事実から推し測ることができるだろう。
*本文中で書かれている“福岡”は原則として“福岡市およびその近郊”を指す。
福岡のクラフトビールシーンの始まりは、恐らく1998年に博多埠頭で行われた“地ビール祭り in 九州 98’”からであろう。九州の地ビール約15社が博多埠頭に集まった5日間のイベントで、真夏に行われたこともあり連日大盛況だった。翌年も同埠頭で2回目の地ビール祭りが行われ、前年を上回るその盛り上がりに地ビールがこれから福岡に根付くであろうことを予感し私は翌2000年の春に福岡を離れアメリカへ旅立った。アメリカでは様々なカルチャーショックを受けたがビールも当然その一つだった。スーパーのビール売り場の充実振りやその値段に驚き*1、地元のブルーパブで初めてIndia Pale Ale(IPA)を飲んだ時には「世の中にはこんな苦くて美味しいビールがあるのか」と感動した。日本より20年近く早く始まったアメリカのクラフトビール文化に触れ*2、日本でもアメリカの様にいつでもどこでも気軽にクラフトビールが飲める様になってほしいと心から思った。そんな期待を持ちつつ約3年後の2003年にアメリカを発ち福岡に帰った。当然気になるのは久しぶりの福岡の“ビール事情“だ。色々と調べてみたところ、残念なことに渡米前には確かにあった地ビールブームは福岡から姿を消していた。西通りにあった『銀河高原ビール』の直営レストラン、海の中道にあった地ビールレストラン『海BE』と言った地ビールを飲める店は軒並み閉店しており、先に書いた「地ビール祭り in 九州」も2000年を最後に開催されていなかった。ただ、これは福岡に限ったことだけではなく全国的に見ても地ビール解禁直後の盛り上がりはないように見えた。スーパーで発泡酒売り場がビールのそれをはるかに上回っているのを見たときは愕然とした。その様な状況の中、私は当時そんなには多くなかったインターネット通販や別府にある『SAZAN』と言う酒屋*3で海外のクラフトビールを買っていたのだが、やはり地ビール(クラフトビール)を樽で飲みたい欲求は常に持っていた。帰国後数カ月経った2003年のある日、いつどのような状況だったか詳しくは覚えてないが、親富幸通りに色んなクラフトビールを樽で飲めるお店があると言う情報を得た。
*1 355mlのバドワイザーが当時のレートで換算して1本100円しなかった。その情報を入手して間もなくビール好きの職場の同僚とその店を訪れた。お店の名前は『Beer’s』。20人も入れば満杯になりそうな小さなお店。しかしカウンターにはクラフトビールを提供するタップが所狭しと並んでいた。最大で12種類の樽ビールを出すことができると店主のヒロさんは誇らしげに語ってくれた。
『Beer’s』の閉店により福岡のクラフトビアシーンは一旦ここで終焉を迎えるように見えたが、その火は実はまだ消えていなかった。火を繋いだのは『Beer’s』が閉店する3ヶ月前に別府にオープンした『Paddy(現Beer Paddy Fukuoka)』だ。
2006年10月の開店時から『松江地ビール』醸造のオリジナルスタウトを出し、その後も日本のクラフトビールを提供し続けた。そして2012年の10月に現在の場所に移転し、満を持してマルチタップによる国内クラフトビールを提供するお店へと進化した(詳しくは後述)。そして実は『Beer’s』もNY生まれのアイリッシュアメリカン、マイケルさんにより『The Craic and The Porter』と名前を変え引き継がれた。
ただ、当初はビールやフードメニューに英国色がとても強く出ており、自分を含めた『Beer’s』の元常連客はなかなか馴染めなかったのを覚えている。現在は場所を親富幸通りに移し、ラインナップも英国色を残しつつよりバラエティーに富んだものになっている。『Rouge』や『Lost Coat』等のアメリカのビールも常時飲める。マイケルさん自慢の手料理もそうだが、このお店の売りは何と言ってもビールの安さだろう(どのビールもパイントで900円!)。(店主がアメリカ人と言うこともあり)店内は外国人客が大半を占めるため人によっては少し入りづらい雰囲気もあるかもしれないが、勇気を出して試しに一度行ってみる価値はあると思う。あまり詳しくは書けないが、世界でこの店でしか飲めないビールに出会うことができるかもしれない。
『Beer’s』閉店後の福岡はしばらく上記の2店ぐらいしかクラフトビール(特に国内のマイクロブルワリーの物)の樽を飲めるところがなかった。もちろん『The Hakata Harp』などのアイリッシュパブでは「ドラフトギネス」や「キルケニー」の樽ビールが飲めたし、樽に拘らなければ中洲の老舗『Cotton Fields』で300種類以上の海外のビールを愉しめた。また、同じ中洲にかつてあった『Van Beeru』では『Cotton Fields』より種類は少ないがやはり海外のクラフトビール(瓶)が多数あり、更に『杉能舎』の樽生ビールも提供されていた。だが、樽のクラフトビールを中心に出す新たな店の出現は2009年の7月まで待たなくてはならない。イギリスの『Green e King PLC』の輸入代理店をしていた『(有)エイボンドリンクス』が大名に『Three Kings British Pub』を開店した。当初飲めたクラフトビールは8種類で、もちろんイギリスのビールが中心だ(現在は日本のクラフトビールも割と飲めるらしい)。初めて訪れた時に驚いたのはその半分がハンドポンプで提供されるリアルエールだったことだ。『Three Kings British Pub』開店の前年、2008年のゴールデンウイークには福岡では久々のビアフェスである『福岡ジャーマンフェスト2008』も開催され、自分的にはこのあたりの時期から福岡のビール事情が好転している気配を感じていた。また少し時間が空くが、『The Craic and The Porter』から徒歩で約5分のところに位置する舞鶴で『Gastro Pub Ales』が2011年8月にオープンする。
この店は2005年平尾で開店した『British Pub Sei』の姉妹店で、現在世界のビール業界でトップを走っているブルワリーの一つであるスコットランドの『BrewDog』のビールが専用のタワーから注がれる。もちろん“福岡初”である。そして前述したように2012年の10月には別府の『Paddy』が高砂へ場所を変え、本格的な“クラフトビールパブ”に生まれかわった。10個の注ぎ口で構成されるマルチタップから国内のメーカーを中心に店主“マーシー”が厳選したクラフトビールが見事なローテーションで提供される。リアルエール用のハンドポンプや専用のタワーから注がれる『サッポロビール』の逸品「エーデル・ピルス」等があるので、樽で飲めるクラフトビールの数は10種類を超える。マルチタップは増設も可能と言うことなので、今後更に飲めるビールの種類が増えるだろう。2013年も新店が2店登場した。まずは6月大名に『Craft Beer Brim』が誕生する。オーナーはかつて今泉の『Irish Pub Leprechaun』で働いていた青年で、一度だけそのお店を訪れた自分を覚えていてくれた。ここは『Beer Paddy Fukuoka』同様マルチタップ(16ある)から常時10種類以上の国内のクラフトビールが提供される。明るい店内照明やソファーテーブル席があるなど一般的なビアパブのイメージとは少し異なり、初めての人や女性客も入りやすそうだ。
国内のみならず海外のクラフトビールも豊富にあり、また国内のメーカーに委託して製造しているオリジナルの“ハウスビール”もあり、こちらは比較的安価で提供されている。2014年も早速ビール関係のイベントや新店の情報が届いている。全国的に見ても今のクラフトビールのブームは一過性のものではないと思われるので、ここ福岡でも今後ますます盛り上がっていくことだろう。
近年のクラフトビール熱の上昇は当然福岡市やその周辺に限ったことではない。福岡第二の都市北九州の黒崎に2008年3月にオープンした『Public House Bravo!』は開店以来ちゃくちゃくと成長を遂げ、ビアバーとしては県内有数の集客力を誇る。
北九州一の繁華街を持つ小倉にもビアバーがある。『Irish Pub Booties』の開店は2002年の8月で、県内のビアバーの中では比較的歴史がある店だ。
「ドラフトギネス」や「キルケニー」を提供する割とオーソドックスなアイリッシュパブとして長年親しまれてきたが、近年は上記の『Public House Bravo!』の様に国産のクラフトビールをゲストビールとして週替わりで出している。また地理的に近い『門司港地ビール』は常時飲めるようだ。小倉には他にアメリカに15年間在住していたマイクさん(日本人です)が開いたニューヨークスタイルのアメリカンバー『Atmosphere from New York』や魚町商店街にあるユーロ酒場『隣区場』と言ったビアバーが近年開店している。『Atmosphere from New York』では約70種類のボトルビールと共に『門司港地ビール』の樽生が愉しめる。アメリカ仕込みのマイクさんの料理も絶品だ。『隣区場』のクラフトビールも主力は海外のボトルビールだが、こちらでは福岡で唯一ベルギーの『デュベル・モルトガット醸造所』の白ビール「Vedett Extra White」がレギュラーの樽ビールとして出されている。
その他の地域の事情についてはあまり詳しくないが、自分の知る限り2012年に赤間で『Ale House 53』、2013年に久留米で『BeerBar Cascade』と言うビアバーがオープンしている。どちらも未訪問なのでいずれは行ってみたい。
“福岡のクラフトビール事情”と銘打っておきながら本特集では県内の小規模ビール醸造所については全くと言っていいほど触れていない事に気づくだろうが、いずれ自分あるいはマナブ氏が各醸造所の記事を個別に書く予定なので敢えて記事に含めなかった。
日本のクラフトビール情報を英語と日本語で提供しているフリーペーパー『Japan Beer Times』の2013年夏号に“Fukuoka”の特集記事が組まれた*5。こちらも過去の福岡のクラフトビール事情から現在の状況まで詳しく書かれている。両者の内容は若干異なり、特に上で触れた県内の小規模ビール醸造所の情報についても『Japan Beer Times』の記事では紹介されているので本特集と合わせて読むとより福岡のクラフトビール事情がわかるだろう。
福岡のクラフトビール熱はまだピークを迎えていない。この先どんどん状況は変化するだろう。今後また大きな変化があれば本記事の続編を書きたいと思う。
書いた人 = Keita
ビールと福岡ソフトバンクホークスをこよなく愛する福岡県民。
当サイトにおいては監修的な役割をしています。
時々記事も書くと思います。